
初心に帰る/返る
こんにちは。10月になりました。雨や曇りの日は少し涼しいのですが、日が照るとまだまだ夏が残っている。日本にはかつて美しい四季があった、なんて春と秋を懐かしむ時代が来ないことを願うばかりです。
さて、先日電車の中で初めて席を譲られました。これまでは席を譲る側だったのに・・・ 確かに私が立っていた場所は、優先席、かつての「シルバーシート」のあたりでした。周囲は訪日外国人らしき人達ばかり。しかも白髪の目立つ方たちがほとんどでした。最初は20代位の男性から “Please have my seat” って。でも、その時私はさほど疲れていなかったので丁寧にお断りし、代わりにお隣に立っていた白髪の女性を勧めました。するとその女性も”Thank you, but I’m OK” って・・・ しばらくして今度は60代位の白髪の外国人男性から同様に声を掛けられました。その時は、私は断るのももう面倒なのでありがたく座らせていただきました。そして思いました。「ああ、私も遂に席を譲られる歳になってしまったのか!」と。
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そういえば、席を譲られたのは今回が初めてではありませんでした。昔々の懐かしい記憶が蘇ってきました。それは1980年代前半、私がトラブルガリアにいた頃です。失礼、ブルガリアのことです。共産主義だった当時、物不足は深刻でした。例えば車、路上駐車が基本でしたが、朝、車に乗ろうと行ってみると車が傾いている。なんと、タイヤが盗まれていたのです。またガソリンが盗まれることも日常茶飯事。特に外国ナンバーの車は標的にされました。犯人は強盗組織ではなく、国内で供給がないから、あるところから調達するほかない庶民たちです。外国人だったら国外から調達できることを知っていたのでしょう。とても貧しい国でした。
私はよく電車で市場へ行きました。当時妊娠中でマタニティードレスを着ていました。私を見ると誰もがすぐに席を譲ってくれました。また、野菜や卵やニワトリなど、すべて並んで買い物をするのですが、自分の好きなものを選んで購入することはできません。ただ何キロ買うかを伝えるだけ。売り切れるとそれで終わりです。でも、妊婦だと優先されて列の前へと押し出され買いそびれることはありませんでした。出産してからも同じでした。子供を抱いていると列で優遇されます。地元のスーパーのレジで「スラトコべーべ」と言われキャンデーをもらったりもしました。隣の家のおばさんと巨大パプリカを炙って瓶詰にして冬の保存食づくりをしたことも忘れられない思い出です。今思えば、停電が頻繁に起こったり、エレベーターが毎日止まったり、日本から送ってもらったベビー用品が途中で紛失し全く届かなかったりと、トラブルだらけの国でしたが、人々との温かい思い出の方がずっと勝り、とても楽しく懐かしい思い出となっています。
日本に戻り、海外でお世話になった人たちに恩返しがしたいと思いました。私にできることは何だろう、と考えた時に頭に浮かんだのがツアーガイドです。でも、全国をベースに日本の観光地を案内するツアーではなく、日本の各地で地元のガイドとして訪日外国人に直接深く接することのできるガイドをしたいと思いました。各ゲストのバックグラウンドは異なっていても、温かい気持ちで一生懸命その地域の文化、歴史を伝える中で、きっと温かい気持ちは相手に伝わり、心に残ってくれるだろうと信じています。
そしてその恩返しの気持ちは、いずれかけがえのないこの地球への恩返しに繋がっていってほしいと思っています。
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初心を忘れがちになっていた私、外国人に席を譲られたことで、ふと昔のことを思い出しました。感謝!
